ここ最近、怪奇モノ妖気モノ、そういう類に何故かまた惹かれていて、古い本を引っ張り出してきた。
蜜のあわれ
金魚(あたい)と老小説家(おじさま)との会話で全編がほぼ成り立っている。情景描写も無く、ただただ金魚とおじさまの会話。金魚は若い娘の姿をしていて20歳くらいの年齢らしい。
ある作家が室生犀星の事を「言語表現の妖魔」と讃えていたそうなのだけど、上品な言葉づかいの中に怪しくも艶やかで小悪魔的な可愛らしさが文章を通じて主人公の姿形が眼に浮かぶよう。
どんどん魅せられていく‥ホント「言語表現の妖魔」
冒頭のお金(お小遣い)をせびるやりとりから惹きつけられていきますよ。
老小説家が小説の巻頭に金魚を描いて画料を貰った。モデルはあたいなので、それはあたいのお金というやりとが続く。
「おじさまはずるいわね。あれ、本当をいえばあたいのお金じゃないの。」
「おじさま、早くお金出してよ、あたいのお金なのに、出ししぶらないでよ。早くさ。」
これだけじゃ、ただのわがまま娘のようだけど、長い会話を通して見ていくと本当に可愛い。可愛すぎます。
若いお嬢さんはこれを「もてバイブル」にしてください(笑)
この小説はとかく官能的、エロチシズムと評されているけれど‥
表題作の他、骨董(陶器)に拘る話、癌で入院闘病中の話、すべて頑固な爺さん=犀星自身の現実のようであり、私自身経験したガンで闘病していた父親の晩年のようであり、死を目前にして「生きる」・「生きている」という事を恥ずかしい部分も全て曝け出している小説と感じたところで、やはり良い小説っていうのは、何度も読みたくなる。そしてその時々に自分の経験値に併せての思いが馳せるんだなぁ‥と深く感慨。
また何年後かに読んでみると違う感想なのかもしれない。
「人を好くということは愉しいことでございます という言葉は、とても派手だけれど、本物の美しさでうざうざしているわね。」
「人を好くということは‥」
「‥言ってごらん遊ばせ。」
こんな感じで、ぐいぐい引っ張っていかれます。美しさがうざうざってww